気まぐれ人じーくうの日常をつづった記

MOTHERシリーズ・天文・ニワトリを愛するいい歳こいた気まぐれなおねーさんじーくうの日常をつづった記。略して日記。2児のMOTHERでもあります。(一時期カテゴリーを使用していなかった為カテゴリー検索で出てこない記事もあります)

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人の命ってもろいもんだなと思う今日この頃


……
………はぁ。
なんか思いっきりダークです。うぉぉぉ、じーくうから憂鬱なオ〜ラが出ている!憂鬱な気分をちょっと出したいだけなんですが、読まないほうがいいかもな…正直、顔真っ赤にしながら泣きかけで書いている自分がいます。まぁ、個人的なあれなんで皆さんにはなんのこっちゃって感じだと思いますが。
かなりの長文だし、いろいろ個人な話が出てくるので、色変更サイズを小さくさせてもらいます。
昨日書きましたが、あんまり詳しく書かなかったので、もうちょっと補足を。私が前の前住んでいた場所、まぁ今と違う町(今までこの日記を見れば、どこか推測出来ます)なんですが、ご近所もとい、家のすぐ前で火事があったそうです。もう10年以上前ですかな。火はもうかなり回っているのに、消防車はまだ着いてなくって。でも、その家のお爺さんが「まだ中に子供がいる」と言うのですが、その火の状態からはもう無理だったそうです。
結局、子供が二人なくなったそうです。(私はぜんぜん知らんのだけど;)うちの家族も葬式に行ったそうです。父いわく、何で助けに行けなかったんだろうと言う事です。とても助けにいけそうな状態ではなかったけど、せめて何かすればよかったと言うことです。そのときは、パニックになって何も出来なかったんですね。でも、無理もないと思います。はじめて大きな炎を目の当たりにして、周りに火を止める大量の水も消火器もないのですから。
その家は、夜なのに両親がどこか出かけていたそうですが、なにやら子供が2階で火遊びをしていた可能性もあるそうです。お爺さんは、隣の別の家にいたし、気づこうも気づけなかったんでしょうね。まだ小学生程度の子供。2階だし、入り口付近が燃えていればどうしようもなかったんでしょうね。
今までその話を聞いたことなかったんですが、悲しいことなので話す機会がなかったんでしょう。そんな話を聞いた初めて昨日でしたが、今日はある人から喪中と言うはがきがきました。先日書いた、小学校からの友達からでした。メールで引っ越したことを伝えたら、ええ、はがきみたいなの送っちゃったよ!とは聞いていましたが。私は文をよく読んでなかったんで、おそらくあちらのお爺さんが亡くなったんだろうと思って、何で私なんかに送るんだろうと思ってましたが。
あとから母が気づいたんです。亡くなったのは彼女のお父さんでした。聞いた瞬間驚きました。彼女と何年も会ってない同様、彼女のお父さんとは5、6年以上も会ってませんでしたが…しばらくしてから、どんな人だったか思い出してきました。私の記憶では、メガネを掛けていて優しくすごく面白い人だった。彼女に家に遊びに行ったときも、歓迎してくれて。車で送ってくれたこともあったっけ。
母とともにショックを受けました。母も何度か学校のPTAなどでもお世話になったそうです。何で亡くなったんだろう。少なくとも、私の父よりは若かったはずです。赤の他人だし、何年も会ってないから、状況は分かりません。彼女本人に聞きたいところですが、メールや電話で「○○ちゃんのお父さんって亡くなったんだ。どうして?」とか本人に聞けません(汗)ましてや亡くなるのはちょっと早い実の父親のことですからね…
喪中のはがきなので、作った@送ったのは今月11月なのですが、現に亡くなったのは春のようです。今でも信じられません。彼女の家に行ったら、久しぶりだね〜何年ぶりかな?高校はどこ行ってるのとか聞いてくるんじゃないかって。
そういえば(そういえばって言うあれじゃないけど)私ももう葬式3回経験してるんです。おじいちゃんおばあちゃんが亡くなって、お通夜して葬式して、ああもう会えないんだって泣く。ここまでは普通ですが、それを終えてからその家に遊びに行ったとき、当たり前ですがそのなくなった人の姿がない。これが一番悲しい。いつも居るのが普通だったのに、もうこれからは居ないんだと改めて実感します。
そして、生前なんでもっと接することが出来なかったんだとかいろいろ後悔も出てくる。もし自分の子供が死んだから、もっと遊ばしてやればよかったとか、親が死ねばなんで親孝行しなかったんだろうとか。今回友達の父親が亡くなって思ったことは、彼女の家に遊びに行ったときなど、もっとお礼を言えばよかったなってこと。たぶん小学校の私のことだから、大してお礼も言えなかったと思います。今だったらいえます。今日はありがとうございます。お世話になりました。と。
あ〜だめだやっぱり。書いてるうちに何書いているか分からなくなります(汗)でも、人っていつ死ぬかも分からないんですよね。私だって、明日交通事故とか喘息とかでぱったりお陀仏になる可能性だって完全に否定できないんです。昨日まで普通にパソコンしていたのに、死んだら何も出来ないんだなって思いたくても、死んでしまえばそんなことも考えられないなんて。
いつでも死を覚悟できている私ですが、やっぱり人間独自の感情までも失うことが怖い。でも、それは人類誕生の500万年も前から変わらない。だから、そこを受け止めて死の恐怖と向き合いながら、やっぱりいつもと同じ自分で過ごしていきたいなと思います。
うわ、くさいこと言ってしまったよ(ぁ)